そして円環はひらく

ただの読んだ本メモ、人が読む用には書いていません

第二の顔、薪の結婚、さよならバースディ、アクロイド、他

第二の顔 (創元推理文庫)

第二の顔 (創元推理文庫)

エイメの長編。ある日突然ハンサムな顔になった中年男性を取り巻く物語。
ハンサムになり女にちやほやされ、道行く人に振り返られる主人公。
でも妻には気付かれず、友人にもないがしろにされ、妻の口からは自分への不満が語られる。これって一体ホントに幸せなの?
もし、元の顔に戻れたら…自分の本来の顔に戻れたら?妻や友人を取り戻せるなら戻りたい。
ここまでは普通考え付くけど、戻ったその後の主人公がどうなったか。この感じがシニカルたっぷりのエイメならでは。


薪の結婚 (創元推理文庫)

薪の結婚 (創元推理文庫)

久々のJ・キャロル。人生の重要な地点で薪を拾う。人生が終わる時その薪を燃やす。
おもしろ!!このセンス大好き。言い回しとか素敵すぎる。
犬が目の前で自転車から落ちた子供を見て、
”大丈夫かというように私を見上げた。世界はまだちゃんとしているのかと。”
「燃える犬を愛玩するな」から引用
いちいち章タイトルも素敵でたまらない。

さよならバースディ (集英社文庫)

さよならバースディ (集英社文庫)

話題になっていたけど、ほんと良いところの無い作品。期待はずれ。
プロポーズした夜に起こった恋人の謎の死。事件を目撃していたのはただ一人、猿人類のバースディだった。
事件の謎を解く工程が退屈で、恋人に死なれた主人公の心理表現も浅い。振られた位の衝撃にしか思えない。
プロジェクトに関わる不正で教授が自殺をするのも、無理やり感満載。

アクロイド殺し (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

アクロイド殺し (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

有名すぎてストーリーを知ってしまってたけど、読み始めると面白い面白い。これで結末知ってなかったら!!
どの辺りで気付いたか、ちゃんと伏線に引っかかりを感じたか。そんなこと思いながら読んだ。
一見読者騙しのような作品が、実はよく読んでみるとものすごくフェアで反則を逃れている。


アクロイドという富豪の殺人事件。
物語はシェパード医師の語りで進行し、ポアロが途中で登場して二人三脚で事件の概要を追っていくのだけれど、
この作品のキーは途中で明かされる、一見なんてこと無い事実にある。(ある意味これがトリックとして一番衝撃的かも)
それは一人称語り手ではなく、文書だったということ。私たちは彼の手記を読んでいたのだ!
解説だったか何かで笠井潔氏が触れていたと思う。何がこれほどまでに絶妙なのか。


「一人称小説」と「手記」。この作品がただの一人称小説だったとすると、もちろんアンフェアな作品だ。
何故なら語り手である一人称小説の「私」は物語進行役。ある意味神の視点で私たちに情報を提供する係。
・読者に対し嘘をつかないこと。
・故意に事実を隠さないこと。
これがフェアであるための探偵小説のお約束事だから。


読者はまさかこれが手記だと思ってないので、一人称語り手の(と勘違いしている)「私」は、読者にフェアだと思いこんでしまう。
だけど後半、この一人称小説だと思っていたものが書き物だったことが分かる。
そうなると「私」は自分に都合の悪い事実を隠すができる。いくらでも私見を含んで良い。これはもちろん反則でもなんでもない。
このトリックに拍手喝采を送りたい。

盗まれた街 (ハヤカワ文庫SF フ 2-2)

盗まれた街 (ハヤカワ文庫SF フ 2-2)

ある日、夫が夫じゃないような気がする。隣人がいつもの隣人と違う気がする。
忍び寄る違和感。
次々と来る患者は皆似たようなことを訴える。
開業医のマイルズが、自身が下したマス・ヒステリーという病名に疑いを持ち始めた時、
もう既に街は宇宙人に盗まれてかけていた!
繭から人間そっくりが生まれてくる場面とか、まざまざと想像できて面白い。
「父さんもどき」を思い出した。あれもガレージのゴミ箱で人間の抜け皮を発見する場面を本当に見たかのように覚えている。

エロス
ハローサマー・グッドバイ
9時から5時までの男
沼地のある森を抜けて